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エピソードの投稿ありがとうございました

エネモール人気投票 2023年1月・2月・3月エピソード投稿分 受賞者発表!!

こちらに掲載されている記事のポイント獲得期限は終了しております。

エネモール人気投票 エピソードの投稿ありがとうございました <2023年1月・2月・3月ご投稿分>受賞者発表!! おめでとうございます!

たくさんの、応募ありがとうございました。
すべてのエピソードを読ませていただきました!

エネモール人気投票 2023年1月・2月・3月
ご投稿いただいたエピソードの中から、
各賞の受賞者が決定しましたので発表いたします!
※受賞者さまには5月上旬にポイントを進呈いたします。

2023年1月 投稿テーマ

「なつかしのお菓子」

金の冠なつかしのお菓子大賞
(1名さま)
100ポイント進呈!

  • 懐かしのお菓子といえば「オブラートに包まれたゼリー」です。
    おばちゃんの家に遊びに行って、
    「ゼリー食べるかい?」
    「やったー!!(もちろん冷蔵庫で冷えたカップゼリーを想像しています)」
    そして出てくるオブラートゼリー……。
    落胆の色を顔に出さないように、笑顔でおばあちゃんに「ありがとう!」って言うと、次回もまたオブラートゼリーになるのでした……。
    いやもちろん!それはそれで美味しかったし、いい思い出ですよ!(^^)

銀の冠心に響いた賞
(1名さま)
50ポイント進呈!

  • 私のなつかしのお菓子は、小さいころに母が作ってくれた「片栗粉モチ」です。
    水と片栗粉と砂糖を練り溶かした物に、熱々の熱湯をかけて『はい!混ぜて混ぜて?!!』と母の掛け声と共にキャッキャ笑いながら、良く一緒に作って食べました。ほんのり甘く、わらび餅みたいな食感が懐かしい思い出です。美味しいとかよりも、一緒に楽しく作ったあの時間が今でもとても覚えていて、母は私が20代のころに亡くなってしまいましたが、今度は私が子ども達と作ってみようかとこの企画で思い出すきっかけになりました♪

銅の冠ひと笑い賞
(4名さま)
30ポイント進呈!

  • 「ねるねるねるね」です。体に悪いからと親から100円と引き換えに取り上げられた悲しい記憶。200円で買ったのに……。
  • 小学校に入る前の小さかったころ、家を訪ねて来た人が「モナカ」を持ってきてくださり、よっぽど食べたかったのか、私は和室のテーブルの下に1人隠れて……。何個食べたのでしょうか、見つかってしまい、今でも、母、姉妹から思い出話と一緒に出て来ます。自分でもうっすらと覚えています。もう60年以上前のことです。
  • 中学生のころ「梅昆布」が大流行!みんなポケットに梅昆布を忍ばせていました。ある日、抜き打ちで持ち物検査があると噂が流れ、みんなで梅昆布を口いっぱいに頬張って証拠隠滅を図ったのはいい思い出です。持ち物検査はありませんでした。
  • 子どものころに買ってもらった「プラスチックの注射器の形をした容器の中にゼリーが入ってるやつ」ですね。先端に蓋がついているのに気づかなくて勢いよく押して半分ほど床にぶちまけてしまいました。

銅の冠ほっこり賞
(4名さま)
30ポイント進呈!

  • 「わらび餅」です。小さいころ、今から60年ほど前、近所のおばさんが小さい屋台を引いて、太鼓をトントントンと鳴らしながら「わらび餅、わらび餅」と言いながら売りにきていました。太鼓の音が聞こえると一目散に10円を握りしめて買いに行ったものです。きな粉をたっぷりかけてもらってその美味しかったこと、今でも忘れられません。きな粉の海に飛び込みたいような気持ちに何度もなったことをよく覚えています。
  • 懐かしのって言われたら、小学校の校庭に出向いてきた「ポン菓子(お米のドン)」です。
    お米と小銭をおじさんに渡し、両手で耳を塞ぎワクワクしながらその時(大きなドーンの音)を待っていたものです。大きな袋に温かく香ばしいポン菓子をいれてもらい、帰り道食べながら帰った記憶が蘇ってきます。懐かしいなぁ。
  • 私の懐かしのお菓子は、祖母の手作りあんが入った「あんこもち」。自分で小豆から育て、秋に収穫しておき、年末になるとゆでこぼして練り上げて……。ものすごく手間をかけて出来上がった、紫がかった素朴なあんをいれたあんこもちは、子どものころの私にとって、年に一回のお楽しみでした。あんこもちを思い出すと、年末のせわしなくもワクワクした雰囲気や、餅つきのもち米が炊ける匂いが蘇ります。
    甘さ控えめで小豆のほわっとした香りがする祖母のあんこ。他のどんな和菓子を食べても同じ味には出会えていません。今は祖母も歳を取り、重労働なあんこ作りはできなくなってしまいましたが、小豆は今も変わらず作っています。私もあんこ作りに自己流で挑戦してみましたが、祖母の味には遠く及びませんでした。あの味を受け継げるように、今度は祖母にコツを聞いてみようと思います。
  • 「お餅を揚げて砂糖をかけたお菓子」です。小さいころに母が作ってくれたお菓子で、お正月の鏡開きでお供えをしていたお餅を砕き、油で揚げて砂糖をかけて食べていました。このお正月、実家でこの話をすると母が市販のお餅を使って作ってくれました。とても懐かしい味でした。私の小学生の子ども達も喜び、「また作ってー」との言葉を聞いた時、親の味を引き継ぐことの大切さを感じました。

2023年2月 投稿テーマ

「鮭(サーモン)」

金の冠鮭(サーモン)大賞
(1名さま)
100ポイント進呈!

  • いくらが大好きな幼稚園の娘。
    ある日、おばあちゃんがまるまる一匹の鮭を買ってきて、それを捌いている様子を隣で見ていたところ、お腹の中から生すじこがにゅるりと出てきてびっくり仰天。
    「いつも食べているいくらは、このすじこを一粒一粒ほぐしたものなんだよ」と、おばあちゃんがいくら作りを始めたところ、初めは気持ち悪がっていた娘も「やってみたい」とお手伝いを始めました。
    時間をかけて粒をほぐして、タレに漬け込んで、初めて自分で作ったいくら。「いつもよりもとってもおいしい!」と、喜んで食べていました。大事な食育だな、と思いました。

銀の冠心に響いた賞
(1名さま)
50ポイント進呈!

  • 長男は一浪した後、諸般の事情で第2希望の大学を受験。家で夫婦で見たパソコンでの合格発表は人生で三本の指に入るくらい興奮したものだった。待ちかねた初めての帰省は次の年の1月。成人式のための1泊2日であわただしく帰っていった。母親はガランとした息子の部屋で涙ぐんでいたがいきなり大きな声。息子のアパートの鍵が机の上にあるのだ。あわてて息子と大家さんに連絡。親切な大家さんはアパートで2時間も待ってくれ、申し訳なく直ぐにスーパーから紅鮭を送らせていただいた。お礼の電話は大げさでひどく恐縮した。「こんなサケ食べたことがない。さすが北海道です」と。あまりにも褒めていただいたのでスーパーで確認。佐藤水産と知り納得。おかげで毎年同じ紅鮭を探し、送らなければならなくなったが……。

銅の冠ひと笑い賞
(4名さま)
30ポイント進呈!

  • 20年前くらい、息子の小学校の近くの小さな川に鮭を発見!?
    「えっ!こんなところにまで上って来たの?」と驚いて橋の上からガン見していたが動かない……。水が少ないから泳げないでいるのかなと心配して見ていたら、本物そっくりの作り物でした。
    近くに石屋さんがあり、そこの方が石で鮭を作って川にディスプレイしていただけでした。心臓が止まるくらいびっくりした出来事でした。
  • 40年以上前の話です。当時は冷凍技術が発達しておらず日持ちしないからか、サーモンのお寿司は今のように一般的な存在ではありませんでした。そんな中、苫小牧駅の駅弁には「サーモン寿司」がありました(現在も好評販売中!)。微かにスモークされたサーモンの押し寿司で本当に絶品なんです!子どもだった私はその味の虜でした。無理やり両親を説得して用もないのに苫小牧まで列車で買いに連れていってもらったことは今でも大変良い思い出です。

  • うちの子(11歳)がサーモン寿司があればそれで良いというくらいサーモン寿司が好きなのですが、デリバリーを頼もうと「サーモン何皿?」聞いたら「20」と言われ「20!?」と2度聞きしました。 20貫と間違えたみたいです。焼肉屋でもサーモン寿司を大量に頼んで満腹になってしまい肉が入らないという「何しに来たんだお前」的なムーブをよくします。
  • 私がまだ幼いころ、幼稚園でお魚屋さんごっこをやりました!先生にお魚の絵を描いてと言われて私は鮭の切り身を描きました!鮭の本当の姿を知らず、お魚は切り身だと思い込んでいたあのころ。今では天然鮭一匹余すことなく料理出来るようになりました!

銅の冠ほっこり賞
(4名さま)
30ポイント進呈!

  • 私は15年前から仕事でふ化場と関わりがあり、毎年ふ化場から50匹程度の稚魚を分けてもらい、自宅の水槽で稚魚を約1か月間飼育し、5月には豊平川に放流しています。
    秋になると豊平川に多くの鮭が戻ってきますが、その中に私が育てた稚魚が親になって戻ってきてくれているかな??と思って、毎年観察に行っています。元気な鮭が遡上し産卵しているのを見ると、ほっこりと嬉しくなります。
  • 昔、子どもを鮭の科学館に連れて行った時、鮭の一生のビデオを一緒にみました。3歳の子どもなりに何か感じたようで、次の日保育園の先生に「鮭の赤ちゃんは生まれた時には、お母さんがいなくて可哀想だけど、お母さんからもらった袋をお腹につけているから守られてるの!」と熱弁していたらしいです。ちゃんと子どもなりに感じてくれて、良かったなと思いました。
  • 私が子どものころ、父は写真に凝っていて自宅で現像までするほどでした。
    一緒に鮭が産卵のために川を上っていくのを見に行き、その際に撮った写真が新聞社のコンテストで一位を取り、とても喜んでいたことを今回思い出し、懐かしくなりました。
  • 私が小学生のころ、大きなプールに生きた鮭が入れられて、そこに人が入り手で掴むという鮭掴みの祭りがありました。鮭の見分け方を祖母に教わり、いくら目当てにメスを狙って掴み祖母の元へ持って行くと「雄だね」と言われました。ショックだった私は「雄なら食べない!!いらない!いくらがほしい!」と大きな声で言ったそうです。するとそれを聞いていた近くにいた見知らぬ家族が「子ども達と親で参加して鮭4本あるから2本もらってくれないかい」と話しかけてきて、メス鮭をくれました。鮭掴みの祭りが珍しくて参加したものの掴んだ鮭が持って帰れるとは知らずに家族全員で参加したそうです。鮭の捌き方と交換にメス鮭2本もらった話です。

2023年3月 投稿テーマ

「ラーメンの思い出」

金の冠ラーメンの思い出大賞
(1名さま)
100ポイント進呈!

  • 子どものころ親がよく連れていってくれるラーメン屋がありました。そこのラーメンは野菜がたっぷりのっていて、普通盛りでも子どもだと結構なボリュームに感じます。当時喘息持ちだった私は、食が細く普段の食事を残すこともしばしばでした。
    しかしそこのラーメンは本当に美味しく、毎回絶対完食して餃子まで食べていました。3つ下の弟も大好きで、小学校3年生ころにはそこのラーメンが大好きすぎて大盛りを注文するほどに。その食べっぷりにいつも厨房で寡黙に鍋を振っている店主のおじさんも、我が家が食べ終わって帰るときには「美味しかったか?大盛り全部食べたのか?!」とニコニコと話しかけてくれていました。ある日いつも通り弟が大盛りを注文して食べ終わって帰るときに、店主のおじさんが「今日の大盛りも完食したのか?!」とびっくりした顔で聞いてきました。なぜかというとおじさんは、弟の食べっぷりが見ていて気持ちよくて、こっそりラーメンの麺を1玉分増やして出してくれていたそうで「流石に残すかな?」と思っていたら弟がぺろりと食べてしまってということだったのです。その日からおじさんと弟の大盛りチャレンジが始まりました。食べにいくたび麺の量が半玉ずつ増えていき、4玉目で食べきりはしたものの弟がギブアップとなりました。そこのラーメン屋は父親の実家の近くで、出前もやっていたので祖父母の家に遊びに行った時にも時々祖父母が出前をとってくれてみんなでワイワイ食べるあのラーメンの味は格別でした。
    いつしか大人になり親とも外食をあまりしなくなってしまい知らぬ間にそのラーメン屋さんは店じまいしていました。大人になってからも色々なラーメンを食べてきましたが、あのおじさんが作るラーメンの味を超えるものに出会ったことがありません。時々今でも母とこのエピソードを思い出して「あのラーメンもう一度食べたいよね」と言っています。

銀の冠心に響いた賞
(1名さま)
50ポイント進呈!

  • 高校生のころ、ラグビー部の皆で開店したばかりのラーメン店へ。なんとラーメン380円!皆、腹いっぱいになって、何より店主の笑顔が最高だった。あれから30年、私も50歳。時代の流れから泣く泣く店主が50円値上げしたラーメン。でも、420円!!
    今も通い続けている。ラーメンの美味しさと店主の笑顔は何も変わらない。これからも家族で美味しいラーメンと店主の笑顔に会いに!

銅の冠ひと笑い賞
(4名さま)
30ポイント進呈!

  • 厚生旅行でのこと。宴会でたらふく飲んだあと、二次会三次会と飲み歩き、最後の締めとして先輩とラーメン屋に入りラーメンを注文し、にぎやかに食べていたところ、急に静かになったと思って横を見たら、先輩がラーメンどんぶりに顔を突っ込んで寝てしまったことを思い出しました。
  • 私が大学2年の時だった。あろうことか、家からの仕送りを一週間前に使い切ってしまった。奥の手のマヨネーズも舐め終わり、布団をかぶってあと2日と言い聞かせていた時、ふと友人の声が聞こえた。地獄に仏、すぐに借金を頼んだが彼曰く「金ない。俺ならラーメンだ」との言葉。何のことか分からなかったが、30分以内で3杯食べるとタダというラーメン屋のイベントのことらしい。彼は「ちょっと行ってくる」と出て行き2時間後に戻ってきた。そしてラーメンの無料券を1枚渡してくれた。さすが有言実行、見事成功させたらしい。コツは最初にすべて麺を平らげ、それからスープを一気に飲み干すこと。麺は西山製麺に限り、他は伸びてしまうから要注意とのこと。最も肝心なのは無銭飲食にならないとの覚悟。私には無理だ。もらったタダ券のラーメンは今まで食べたことがないくらい美味かった。それ以来彼には頭が上がらない。
  • 息子がまだ小さくて4歳位だと記憶してますが、ラーメンが大好きで、具材の無いスープと麺だけのラーメンがお気に入りでした。たまたま知り合いの地元では美味しいと言われているラーメン屋さんに行った時に店主に「具なしラーメン」と言ったので、店主が「はいよ」と茹でたラーメンだけを丼に入れて息子の前に出したところ、息子が「麺だけじゃなくてスープもお願いします」と言って大人用のラーメンを全部食べて「美味しい~」と言ったのを思い出しました。子どもは正直なので具材に騙されず、麺とスープだけのラーメンは本当に美味しいものだったんだと思います。ちなみに代金は普通通り取られました^^。
  • 幼いころ、4人きょうだいの6人家族で6畳一間の長屋に暮らしていましたが、貧しいながらも楽しい我が家。大鍋にインスタントラーメンをまとめて作り、みんなで分け合って食べるのが大好きでした。しかしおそらく人数分のラーメンはなく、末っ子の私はいつも小さなお椀一杯しかもらえず、物足りない思いをしていました。ある日友達と遊びながら、死ぬ前に何が食べたいか?という会話になり、私はお腹一杯インスタントラーメンを食べたいと答えました。6歳くらいで最後の晩餐について語っていた私。しかもそれがインスタントラーメンかい?と、時々思い出してはひとりで突っ込みをいれてます(笑)

銅の冠ほっこり賞
(4名さま)
30ポイント進呈!

  • 保育園児の長男と一緒にラーメン屋さんでラーメン作り体験をしに行ったことがあります。野菜を炒めたり、ラーメンをゆでて湯切りをし、好きな具を盛り付けて、自分が作ったものをいただくという初めてのお料理体験でした。とても楽しかったようで、それ以来料理に興味を持ち、自宅でも積極的にお手伝いをするようになりました。大きくなった今でも、貴重な経験だったと思います。
  • 祖母が作ってくれる味噌ラーメンは手作りで溢れていました。スープに使う味噌も自家製で、にんにくや生姜も畑で育てたもの。具材の野菜に至っては今さっき畑からもいできたものでした。そんな祖母の作る味噌ラーメンは、今で言うところの「にんにく増し増しがっつり家系ラーメン」。それを扇風機の前で食べるのがうちの夏の風物詩でした。そんな祖母も今年で御年90歳。いつまでも元気でいてほしいものです。
  • 大阪で学生時代にラーメン屋さんでアルバイトして3か月、店主がパチンコ好きで、客がいなくなりパチンコをしに行った時でした。8人の会社員が入店し私1人で作ることになり、どんぶりに麺を入れるたびに麺が伸び、7番目8番目は散々でした。お客に苦情は言われませんでしたが、この経験でラーメン作りの腕前が上がり、68歳位になった今でも家族に振る舞っています。
  • 家族5人。子どものころは皆でデパートや狸小路に行って買い物や映画を楽しみました。中でも夕食時はラーメン屋さんが多かった思い出があります。でもラーメンは常に5人で4杯の注文。男兄弟3人の末っ子の私は、常に皆からのおすそ分けだった記憶があります。70歳になった今も記憶にあるということは、やはり「食べ物の恨み」は懐かしい思い出ではなさそうです。
    そんなわけで、川崎に住む孫2人ははまだ小学生ですが、ラーメンが好きなので来た時は1杯ずつ注文してあげています。でも少し多いのか残すので、今またおすそ分けに預かっています。

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※掲載情報は2023年4月28日時点のものです。

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